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zoom RSS アンバランスな家〜有害な環境

<<   作成日時 : 2013/08/13 16:00   >>

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 両親が信頼関係を築けない間柄というのは子供にとって良くない。
 過剰で自己満足な愛情も。
 無関心で他人事のような距離も。
 成長過程の子供には有害だ。

 衣食住は足りていた。
 だから虐待家庭ではない。
 衣食住に不自由はしていないし、短大へも通った。
 親に感謝するのが当たり前で、不満を並べるのは間違えてるのかもしれない。

 虐待家庭の子は命を取られる。

 命は大事だ。
 そういう家庭でなかった事を感謝し、生きて大人になれたことをありがたいと思わなくてはいけない。
 そうなのかもしれない。


 でも命は有りさえすれば何でもいいという訳ではない。
 

 




 競艇場通いが生きがいだった父親。
 若い頃は、親と兄弟姉妹が借金を返す事もあったらしい。

 最初の結婚はすぐに破綻し、子供も死なせ、厄介物だったに違いない。
 それで周囲が見合い話を勧めたのだろう。

 母が私を産んだのは、結婚してから5年過ぎた頃だ。
 それまでに離婚できたと思うが、そうする気は無かったような口ぶりだった。
 昭和30年代のことだ。
 今みたいに離婚する人たちが多い訳ではない。
 世間体や見栄で踏みとどまったのだと思う。

 式は挙げたが新婚旅行も指輪も無かったそうだ。
 結婚してからもすぐに子供を作らず仕事をするよう母は言われたらしい。子供がいると金がかかる、そんな理由からだった。

 父は一人で収入を自由に使いたかった。

 将来の年金を楽しみにしていた。
 その当時、恩給と言っていた。
 父はほとんど母とも私とも会話しなかった。
 でもたまにしゃべる言葉の中で「恩給。」と言っていた。
 「恩給が有るからいい。」
 市役所に勤めているのはそれがあるからいいという意味だ。
 

 何の用事だったか覚えていないが父と二人で出かけたことがあった。
 遊びじゃないと思う。
 たぶん親戚の用事か何かだ。
 小学校3年くらいのことだ。
 帰りに阪急百貨店の最上階の食堂へ入った。
 食事とパフェを一度に注文して食べ切れなかった。

 いつも他人のような距離感があった。

 夏、プールへ行った事が一度あった。
 それと私を競艇場へ連れて行った事があった。(たぶん住之江だと思う。) 
 家族3人で外食に出かけた事くらいはある。

 思い出というのはそれくらいだ。

 
 何もかもがアンバランスな家だった。


 
 
 別れてからすっかり忘れた頃になって、手紙が届いた。
 入院して手術するのに身内の判子がいるからと連絡してきた。
 他人になってひとりになって幸せだったはずの父。
 病気を治す手続きに身内の印鑑が必要だった。

 叔母(母の妹)は自分勝手だと怒り、世話になんか行く事は無いと言い、逆に父の妹は見舞いの回数が少ないと電話で抗議してきた。
 正月の事だった。

 揉め事の原因だ。
 態度をハッキリさせない父の存在が周囲へ揉め事を広げていく。


 2度目の入院は断り無く叔母(父の妹)夫婦を連絡先にしていた。
 
 





 父は精神疾患だったから、誰が一緒になっても上手くは行かない。

 母が見栄を張り虚勢を張り、更に無理が生じた。

 心を育むのは目に見えない。
 ただ前歯が異常なのは目に見える。

 永久歯の異変や異常を知っても大きな病院を探さない親。

 大切なコミュニケーションのためのツール。
 他人と共感して友達になれる。
 同性も異性も関係なく共感性から全てが始まる。
 その第一歩を歯で阻害されてしまったような気がする。
 鏡で自分の前歯を見るたびに暗い気分になった。
 希望を失った。


 それは異常がある人にしか分からない感覚だ。



 小学校1,2年までは同級生ともよくしゃべっていたと思う。
 永久歯が生えてから、あまりしゃべらなくなったような気がする。

 母の仕事の邪魔になるから無駄話や雑談はできなかった。
 加えて外であれを言うな、これをしゃべるなとうるさかった。
 何でも思った事を口にしない、それが習慣になった。

 私がしゃべらなくなったのは歯のせいなのか、家庭環境のせいなのか、それは自分では分からない。
 でも、たぶんどちらもだと思う。


 価値観や物の見方も偏っていた。
 専業主婦を「暇人」とけなしていた。
 
 子供の頃は母の価値基準に合わせて生きるしかない。

 両親はまったく会話が無いかケンカしているか、そのどちらか。

 いったい子供の何を育むつもりで家庭を持っていたのか。
 目標は無かったと思う。
 学校でのキャンプに陶器の食器を持って行った。
 皆はアルミのキャンプ用のを持参していた。
 こんな変な事をしていたのは私だけだ。
 母はキャンプをよく知らないか興味が無かったのだろう。
 父も学校の行事に関心は無かった。会話が無かった。

 何もかも、私のやってることひとつひとつが変だったに違いない。

 いじめの無い時代に学校生活を送っていたから、誰からも何も言われなかったが。
 変な目で見られている空気や視線は察知できたが。
 同じ班の子に話しかけても全く返事をしてもらえなかったのを覚えている。
 

 そんな事の連続だった。



 社会に出てもそれは同じだ。
 

 歩いてきた人生や育った環境が人と違う。

 平均的な家庭の話なら気楽だが、私のは違う。
 特異だから場の空気を読んでもなかなか言い出しにくい。
 気まずい雰囲気になるのは目に見えている。
 でも説明しないと分かってもらえない。



 理解してもらわなければ、何も始まらないのだ。





 尼崎の異常な家庭
 劣悪な環境

 父はギャンブル依存症
 周囲と協調しない母
 一生分のストレス
 他人より遠い親

 肝心なものがない家
 要らない物があふれた家参照



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