緊急連絡

緊急連絡
 坊やが教室に財布を忘れたことがあって、私が帰宅してまもなく連絡が入った。

 もちろん母親からの電話。
 こういうアクシデントがあっても、坊やは勝手に動けない。
 動かないのか母親の前では固まってしまうのか、知らないけど、とにかく母親を通して全ての連絡が入る。

 教室と私の家は徒歩10分ほどの距離。
 照明を消して戸締りをして、外のシャッターを下ろして再び鍵をかけて、それで家に着いた訳だしこの状態ですぐに引き返してまたシャッターを上げるなんてできないよ。
 わたしはもう着替えて洗顔した直後だったんだよ。
 仕方ないから「明日の朝見に行きますから。」ということで電話を切った。
 翌日 教室に行ってみると、すでに楽器店の社員の人が点検に来られていて、坊やの財布も発見済みだった。私はその人に受け付けのあるセンター経由で母親に渡してもらうよう頼んで、戻って来た。
 助かるよ。財布なんか絶対に預かりたくない。


 こういう時、人の親切心とか情を上手く使うんだよね。
 支払ってる報酬とは無関係の雑務を頼んだり、使いに走らせたい時は、相手の情に訴える。

 「財布なんて知りません。自分で勝手に取りに行って下さい。」
 なんて言う先生は居ないでしょ。あの状況で。  
 ただ電話をかけてきて事情を説明するんだけど、それだけで後はどうして欲しいとか、どうすればいいのかとか何も言わない。
 「申し訳ないんですけど… 」とか「お願いできないでしょうか?」というような言葉を一切使わない。
 困惑したお互いのやり取りがあって、結局放っとけないのでこっちが動く。
 


 自分は言葉に出して頼まず相手に切り出させる。

 そして用が済んでしまうと、

 何事もありませんでしたみたいな淡々とした空気に戻る。
 


粉砕された12年  前編 (一部分) 
 2006年の秋、坊やは初めて試験を受けた。

 君の初めてのグレード挑戦。
 結果を待ってる間の毎日は気が気でなかったね。 

 上級のグレードテストは、都市部でほぼ毎月行われている。
 各楽器店を通さないから、申し込み手続きは生徒個人の作業になる。
 生徒が動いて報告を受けて 次の手順へアドバイスして進んでいく。
 だから先生はノータッチ。それは有り難いよ。お金立て替えなくて済むからね。
 反面、その都度生徒からの情報無しには 物事は進まない。

 合否の通知も生徒の家へ直接届くんだよね。
 
 テスト当日の雰囲気も様子も、君からは何も伝わってこないので、
 どうしようもなく私は母親に電話を入れた。
 不合格だった場合、項目別の採点結果によって次にどうするかを判断していく。
 それが無いと、手も足も出ない。保管して教室まで持ってきてもらわないと…

 当日、数分遅れで失格になってた事を、
 私が知ったのはそれから10日もたってのこと。
 「嘘ついてました」坊やはそう言った。

 無駄に結果を待つだけですでに一ヶ月も経過していた。



上昇志向の果て 
 これをさかのぼる2年前、2004年の秋、
 坊やが教室に財布を置き忘れる出来事があったんだよね。
 高校3年の時だよ。

 レッスンが終わって帰宅し、玄関の扉を開けたとき、着信ベルが鳴っていた。
 電話の側まで行って受話器を取るのは間に合わなかった。
 着信データを見ると、未登録の携帯電話からだった。
 知り合いのはほとんど登録済みだから、気にせずそのままにしておいた。
 その後、十数分はたったか再びベルが鳴った。
 発信者は坊やの苗字。自宅の固定電話から、母親が掛けてきたものだった。

 教室と私の家は徒歩10分ほどの距離。
 仕方ないから「明日の朝見に行きますから。」ということで電話を切った。
 
 クレームの電話も速くかかってくるけど、この時が一番速かったね。
 超速攻。
 人を使いに走らせる時は、何の遠慮も無く、ためらいも無く、
 しっかりコンタクトを取ってくる。
 一度掛けて不在でも、あきらめずに再度掛けなおす。
 あの未登録の着信は帰宅途中にかけてきたんだね。

 母親にとって、もちろん坊やにとっても緊急の用事ってことだね。

 財布は大切だからね。

 大切だから、電話した。連絡を入れた。
 自分たちにとって大切なことだけ連絡を入れる。
 相手が情報を必要としてても、自分が億劫に感じたら、連絡しない。
 謝ったりお礼を言ったり、そういう面倒な事はできるだけ省く。

 サイフは現物だからね。
 急がないと紛失してしまう。
 急いだら発見してサイフを取り戻せる。
 でもテストが失格になったことは、どうにもできないアクシデント。
 納めた受験料は返ってこないし、知らせるのを急いでも意味が無い。
 この母親にとって一番大切なのは、そういう現物。
 他人の気持ちは優先順位の一番最後。
 これがこの母親の教育方針さ。
 小さい時から子供に繰り返し刷り込んできた。

 そして見事にそういう男の子に仕上がった。
  



                                『怪 物 親』

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