酸 欠~欲望の上限

「欲望の上限」 
 発表会費の締め切りが迫っているので、私は生徒の母親に電話した。
 いくつかやりとりがあって、間に合わないと困るので持ってきていただけるようにお願いすると、相手は黙ってる。
 電話口で沈黙されると、どうしようと思う。
 仕方なく「じゃあ、私立て替えておきます。」と言うしかなかった。

 この母親はこういう時、はっきりしゃべらない。
 困らせて相手が動くのを待つ。上手いよね。




 その頃生徒は グループと個人レッスン併用のコースに入ってた。
 当然、月謝は2倍かかる。
 発表会は個人の方は自由参加だったけど、出演してた。
 個人出演は度胸が試される。
 「度胸を付けさせたい。」母親はそう言っていた。
 グループだけでなく両方出演させて子供にたくさんの経験をさせたい、そういう強い願いが感じ取れた。

 もちろん、参加費用も倍近くかかることになる。 
 生徒がレッスンを嫌がってどうしようもなかった時期。
 母親がひとり熱を入れていた。



 その頃はまだ社宅にお住まいで、家計の中から教育費に使える分は全てつぎ込んでいた。
 そんな感じに見て取れた。
 何かをあきらめるという発想は無かったのかもしれない。


 あれも これも ママは欲張り


 それ以降もパターンは同じ。変わらない。

 これは私の推測だけど、たぶん夫の収入が増えていくのと比例して、支出の上限ギリギリいっぱいまで、欲しい物を手に入れていったのではないかと。
 夫の収入がいくら増えていっても、支出の上限ギリギリまでローンを組むと、どこまでいっても余裕が無い。
 だからいつも、いっぱいいっぱいだったんじゃないか?

 なので教材費に回って来ない。
 発表会費も期日までに間に合わない。遅かったり足りなかったり。 

 曲も選んで練習に入って、準備は進んでる。
 承知してるはず。
 発表会シーズンも毎年決まっててわかってるんだから。
 参加費用位、取っておいて欲しかった。



 13年間、何も変わらなかった。

「音楽教室の痛い親子」
 13年間で変わった事と言えば、受付のコーナーが閉鎖され、このご一家が隣の市へ引っ越した事。

 そして数人いた他の生徒は、進学シーズンになるとひとりまたひとりと辞めていき、私の生徒はこの男の子だけになってしまった。
 先生は楽器店の社員ではないから、その生徒の来る時間帯だけ足を運べばいい。
 なので水曜日はこの生徒のためだけに教室を訪れる、そんな日々が続くようになった。


 受付が無くなった事で、ひとつの教室に備わっている機能は分散した。
 楽譜は電車で一駅乗って買いに行かなければならない。
 生徒が休むなどの連絡事項は、ここの教室からバスで15分くらいの別のセンター教室で取り合う事になった。
 受付の人に会ったことはない。
 いつも声だけの応答。お互いの状況は見えない。

 4部屋ある教室の個人の部屋を使用していた。
 最初に始める人がシャッターを上げ、最後の人がシャッターを降ろし戸締りをする。

 生徒の数は少なく、常に閑散とした雰囲気だった。



 生徒との連絡、楽譜やお金の受け渡しが順調なら何の問題もなかったと思う。
 教室自体が機能的で無くなった状況でも、工夫次第で何とかなる。
 回していくのは人間だから、意思疎通と事務連絡さえ行き渡れば他の教室となんら変わり無く仕事をこなせたと思う。


 けれど私が相対してきたのはこの親子だから。

 私にとっては最悪な組み合わせ。




 毎月のレポート提出も発表会費を収めるのも、楽譜の購入も電車でひと駅のセンター教室へ足を運ぶ。
 全てに交通費がかかったけど、当時は仕事だからそれで当然のことだと受け止めていた。
 生徒に新しいテキストを用意するのは先生にとって楽しい作業。

 それすら、あの母親のセコいクレームでケチが付いてしまった。


 発表会費も足りなかった年を最後に、二度と出演を勧めなかった。
 もうあの母親から二度と現金を受け取りたくない。
 あの蒸し暑い日の午後の出来事だけは思い出すと不快になる。





ノンフィクション
『エリート志向の闇~平気で嘘をつく子供』の紹介記事でした。


 よろしければこれまでの紹介記事もご覧下さい。
 彼 方
 禁じられた学び 
 痛い親子
 大学名を言えない子
 無言の圧力
 痛い保護者
 近所で楽譜を買わない理由


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 あらすじ 

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